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平澤 勉

- Tsutomu Hirasawa -
人物近影

人物紹介
  • 合同会社10decades 代表
  • 移住してから知った曽我の話 


     現在、曽我に8か所の梅林を借りて梅を栽培しています。はじめから梅農家を目指したわけではなく、この地域で何ができるかを考えたら梅だったという順番で、最初は梅に品種があることすら知りませんでした。私が知っているだけでも曽我では13、4品種は栽培されています。地元の方は梅の品種を用途ごとに使い分けていることが衝撃的で、「十郎梅」「南高梅」「白加賀」など複数種類、それも50~60kgもあろう量をおばあさんが直売所でカートを押しながらごっそり購入しているのを目撃したときは、思わず声を掛けてしまいました。その大量の梅をどうするのかと聞くと、さも当たり前のように、十郎梅は梅干し、南高梅はジャム、そして白加賀は梅酒やシロップ用だと教えてくれました。
     そこから実際に自分で品種ごとに梅干しを作りわけ、食べ比べが出来る商品を作りました。パッケージは、よくお店に並んでいるものは平たいプラスチック容器に塩分何パーセントと書いてありますが、マイクロプラスチックが気になっているため、燃えるゴミとして扱えるクラフト紙のようなものを使っています。

     梅林が広がる下曽我地区は水が豊富で昔は造り酒屋が多くあり、沼地もあったようです。今でもサワガニやスズメバチ、猫やタヌキなどが私の農地近くの湧水を飲みにやってきますので、化学薬品類は一切使わないようにしています。昔は蛍も多く飛んでいたと聞きます。しかし農薬や生活排水を流すようになり生き物の姿がどんどんなくなっていった。それまで当たり前だった、そのまま飲める沢の水や、手にとって食べられた草花などが、今となっては特別な場所に探しに行かなくてはならなくなってしまった、とベテラン農家さんから聞きます。私から見たら自然豊かなこの曽我も5、60年前を知る人の目から見たら大きく様変わりしていると聞いたときはショックでした。

    環境と経済の両立



     毎年恒例の「梅まつり」ですが、担い手不足や高齢化に伴い運営が年々難しさを増しています。しかし、その梅まつりでの訪問をキッカケに、曽我梅林のことを知り、環境の素晴らしさと相まって農業に関心を持ち、ゆくゆくは移住して梅の栽培をやりたいという人が現れるようになりはじめました。こうなってくると梅まつりの意義が、単なるにぎわいや売上の創出だけでなく、次世代の担い手との出会いの場にもなり、マーケティングやブランディングの場にもなります。


     今は実際に移住してきてくれる彼ら自身の生活費や、子供の養育・教育費、医療費を心配することがなく、せめて同世代サラリーマンと同等以上の収入を得られるビジネスモデルを地域で協力して作れるようになることが急務と考えています。特に都市部から関係人口や移住を経て農業に関心を持つ人の多くは、自然環境を求める意識が非常に強く、またそれまで続けてきた仕事との兼業が多いため、慣行農法の専業農家とは少し違う観点での関わりを大切にする必要があります。

     今年は移住者が元々持っていたスキルや人脈をうまく活用し合いながら地元の農家さんと協力することで、農作物の高収益化や販路拡大が図れている事例が出始めています。例えば今年は「はるか」というお米を農薬などを使わず移住者と地元農家さんで一緒に育てました。苗の仕入れや栽培・収穫などは地元農家さんにイニシアチブをとって頂き、田植えや稲刈りなどは体験イベントにして移住者が首都圏から友知人を招き労働力を確保し、パッケージデザインや販路開拓や販売は移住者が中心となり都市部のマルシェやネット販売につなげることで、環境に良い圃場を広げつつ高単価での販売が可能となりました。次年度は圃場面積を増やそうと耕作放棄地を探し始めています。
     農業で経済が回り、新しい人がやってきて、そして環境がよくなる。この三つ巴をこの曽我で実現していきたいですし、おだわら環境志民ネットワークもこの環境と経済の両輪に目を向けていることに魅力があると思います。

    『あたらしいふるさと』を作りたい



     高度成長期(昭和30〜40年代)、曽我をはじめとする小田原周辺の山はほとんどみかん畑だったと聞きます。地図を見ても広く果樹園が広がっていますし、足を運んでみても驚くほど奥地まで農道が入り込んでいます。みかんが儲かって仕方なかった時代は、山をどんどん開墾してみかん一色に植え替え、毒性の強い薬をたくさん使い、下水も整備されていなかったため生活用水を垂れ流していた時代でもありました。

     今、みかんは儲からなくなり耕作放棄地が加速度的に増えて里山は荒れています。遠目に見ると自然豊かな森に戻っているように見えますが、中に入ると一度皆伐された山は植生が偏っていたり、持ち込まれた竹が暴れて山を侵食していたり、葛などの蔦類が木を覆っていたりしています。時代の名残なのでしょうが、なんだか里山全体を金儲けのために使い捨てにしたようで、さらに頑張ってきた農家さんも後に続くものがいない、というのはとても寂しく思います。今、曽我梅林に後継者がいる農家さんは1割もいません。このままだとあと10年で曽我梅林は壊滅的な状況になっていくのではないかと思いますが、自分の代でおしまいだ、もう仕方がない、と諦めている方が多いのです。しかし、このまま無くしてしまうにはあまりに惜しいですし、自分が大好きな場所を人生の晩年を諦めて過ごす場所にしたくありません。そのために曽我を未来により良い形で残す実験として「あたらしいふるさと」を作りたいと思っています。
     「あたらしいふるさと」はこの曽我のムラ・ノラ・ヤマの生態系を、地元の人だけでなく都市部で暮らす人たちも交えて、我が事として環境的・経済的に持続可能な姿にしていくことだと思っています。それは単なる農作物の生産者と消費者という関係ではなく、地縁・血縁のようなしがらみとも違う、曽我の未来に関心を持って下さる様々な方々の楽しみや幸せを実現しつつ苦労や責任も分け合い、この土地の山川草木にとってもよりいのち豊かになる循環を生み出し続ける文化を未来に残すことだと考えています。  こんな大仰なことは私もゴールイメージやそこまでのプロセスを全てわかっているわけではありませんが、これまでの取り組みで感じる大事なことの一つは、お金を払えば楽に済ませられることを、わざわざ自分で手掛けることだと思っています。わざわざ人を招いて、何かを作って、壊して、直して、対話して、学んで、食べて、汗して、笑って・・・。そういった経験を様々な人と一緒になって重ねていくことで、曽我の自然環境や人が持つ価値や可能性が再発見されたり、大切にしようという思いが芽生えたり、誇りになったり愛着が生まれたりして、我が事としてのふるさとが新しく作られていくのではないかと考えています。