Loading...

近藤 忠

-Tadasi Kondo-

和留沢わくワーク村とは?


 小田原市の主導で、環境再生プロジェクトの公募があり、ちょうど和留沢の土地が小田原市に移譲されたこともあり、そこに論文応募して、参加したというのがキッカケであり始まりです。当時、私はメンバーの一員として参加していました。身近な自然環境を体感しながら、環境を学べる場(敷居の低い、誰でも関われる場)にしたいと思っていて、「楽しく遊びながら学べる」(理屈ではない体感的学び)=わくわくしながら皆で関わる作業(ワーク)する場(村)と名前が決まっていきました。
 当初は放置された密林状態で伐採からはじまり、重機を半ばシロウトが使い、農地とイベントを行える場を整備していきました。雑草も多く、また作物を植えてみるものの、低地とは気候が違い、簡単には作物ができない状況だったし、ようやく植えたジャガイモも毎年イノシシに荒らされ続け、試行錯誤を繰り返しながら、現在は鉄メッシュで囲った畑の状態に至っています。
 イベントの基本対象は市内在住の親子で、これまでに、そば、小麦、ミョウガ、シイタケ、ジャガイモの栽培が成功しました。ジャガイモは獣害がなければ安定した収穫が見込めるので、今ではすっかり定着しています。私たちが企画するイベントや、環境保全の活動は「市民が主体+行政+企業との協働によって、身近な自然を含めた環境を守り、育てる」という目的を持って取り組んでいます。



近藤さん自身について教えてください


 物心ついたときには近所の小川が遊び場でした。成長に応じて、海、山、川が遊びのフィールドになりました。一方で高度成長期で自然環境の破壊に似た開発が進み、ゴミ等を捨てる時代に突入。小学校時は身近にいた蛍が川の護岸工事で消えてゆき、その状況を話題にしても平然としている大人たちの感性に悲しみました。中学になって丹沢ダム完成、酒匂川の飯泉取水堰ができ、先生に川の環境悪化、海への土砂供給減少などの問題を投げかけたこともありましたが無視されましたね...。ゴミ拾いも下校途中に行っていましたが、友人、通行中のおばさんら、親にも良い顔はされませんでしたね。(あんた!ばかじゃないの?状態)まれに褒めてくれる人もいたな。(苦笑)大学時代は釣りクラブ所属で芦ノ湖湖畔のゴミ拾いをしていて、環境保全活動に目覚めてきた感はありますね。社会人になっても海、山、川で遊ぶ基本のスタンスは不変ですね。環境保全活動+いままでの遊んだ経験を踏まえた屋外での遊び所作を伝えるきっかけになったのが、30歳くらいからでしょうか、久野の環境を守る会、酒匂川塾、美しい久野里地里山協議会など、2市8町の足柄平野+富士山あたりをエリアとして、身近な自然環境の保全に関わるようになり現在に至っています。

これからの志民ネットワークについて


 全般には関わる担い手が不足していることです。おそらく全ての諸団体に共通していることですが、解決策の一つとして「ゆるくても他と繋がりを持つ」ことが大切になるのかもしれません。パラダイムシフトがまさに起こっているんだと思います。SDGs、地域循環共生圏をわかりやすく皆に知らせてゆくことが急務だと感じています。これにはネットワーク会員同士で繋がることが重要です。都市部、企業、他のソリューションを持つ団体等との連携、皆さんなじみがないので、反対されて潰され続けてきましたが、いま徐々にですがNPO、企業との連携、繋がりを持てそうな期待が生じています。この部分は期待するものではなく自分が率先してゆくものだと、自分に発破をかけ(イエ、おしりぺんぺん程度)ています。いずれにしても「行政目線の見た目のカッコよさや文書のデキ」は不必要で、たとえカッコ悪くても質実剛健?なおだわら環境志民ネットワークを作るべく奮闘プチ努力を重ねたいと思うのです。(市民目線で楽しく環境改善したいです)