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志村 成則

-Shigenori Shimura-
人物近影

人物紹介
  • 志村米穀店 店主
  • みんな小さい頃は


     小さいころから自然が好きで、カブトムシ・バッタなんか狂ったように追いかけていました(笑)とにかく外に出て毎日同じところ行って走り回っていました。当時は近所のお兄ちゃんたちが一緒に遊んでくれて、虫もそうだし、釣りも教えてくれて、シロギスや、台風のあとにはタイなんかも釣れて、魚に得点付けて、釣果で競い合ったり遊んだあとはその場で焚き火して、石を焼いてフライパン代わりにして調理して食べたりして、とにかく夢中でした。そんな影響から魚を飼育し始めたこともありました。熱帯魚に手を出したときには家中水槽だらけになりました(笑)ただ、しばらくして学校の部活や勉強が忙しくなると自然からは少し離れるという時期もありました。


    なりたいものはないけど


     高校、大学と過ごしてきて、周囲には「弁護士になる」とか明確な目標をもってるひとがいたけれども、自分は漠然としてる時間が多かった。ただいざ進路を考え出すと、なりたいものはないけれど、やりたいことはあるなと。それが水とか魚のことでした。とりあえず思いつきでクジラが見たいなと思って小笠原に行ってダイビングのライセンスを取得して海に潜り、伊豆の海洋公園ではアルバイトで接客を学びながらまた潜り、1日5本とかかなりハードな日々で体力も付きました。そうして過ごすうちに、お気に入りのスポットに人参が流れてきたり汚い排水が流入してきたりして厭な思いも経験しました。社会的にも環境問題が騒がれ始めた時代であって、そこから海洋調査の会社に進み、日本全国の海に赴き、環境との付き合いが再び始まりました。

    漁業か農業か


     海に関する仕事をしていたので、地元の漁師さんと一緒になることが多く、その仕事ぶりを間近で見ていると憧れるものがあって、野生的でいいなと思う頃には自分もやってみたいという気持ちに変わっていました。ただ今でこそ緩和されてきましたが、当時、漁師となると漁業権の問題で血縁がないと中々就職が難しかったんですね。でもとにかく1次産業がやりたくて、そこで漁業と同じくやりたい候補だったのが農業だったんです。友達伝いに田んぼ農家さんを紹介してもらい、田植えとか収穫を手伝わせてもらえて、最初はすぐ飽きてしまうかとも思ったのですが、自分でもビックリするくらい飽きなかったんです。一年やっても二年やっても。それで自分に向いてる、長く続けられる仕事なのかなと思い小田原に帰ってきました。

    自分なりのやり方で


     お店では直接お客さんにお米を販売するので、味の良し悪しでリピート率にすぐ影響するんです。今の味は結構満足してもらっていますが、最初はいろいろ肥料を変えてお客さんの反応をみたり、県内外問わず勉強に行ったりしてたどり着きました。現状、供給のほうが足りなくて嬉しい悲鳴です。買ってくれる人がいるから、田んぼを増やそうと出来るし、小田原にとっても、日本にとっても良いことだと思っています。人によってはそう考えない人もいるだろうけど、少なくとも僕は田んぼはなるべくあった方がいい、残したほうがいいと思っています。国土を守るし、空気をきれいにするし、地下水も改善される。様々な面で田んぼは生活と共存共栄で付き合ってきた事実を引き継いでいきたいです。